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 / 筒井彩 -「手あとをたどるーMarks and Tracesによせて」

「手あとをたどるーMarks and Tracesによせて」

少し重めの質感をもつビロードの地、軽やかに繰り返される星やハートの押型、そしてそれらの上を覆うようにどろりと垂れる絵具。本展に並ぶ最新のシリーズ「Marks & Traces」は、これら三つの要素から構成されている。
これまでの作品でも、星やハートの他、十字架や髑髏といった形が登場しており、画面の大部分を占めていたが、本シリーズでは限定的で、ポップな雰囲気は少し抑えられている。また、色彩においても、原色や蛍光色に近い明るい色面が強い印象を残す過去の作品とは異なり、赤、青、白、黒といった少ない色数の組み合わせが、ビロードの深い色調と相まって、落ち着いた印象を与える。
今回、新しく取り入れられたビロードは、日常に馴染んだ素材でもあるため、触ると手痕が残りやすい性質がすぐに想起されるが、作品中にもそうした接触の跡が見受けられ、触知的な感覚が追体験できる。大きなヘラで動かしたような絵具の形体からは、人の手の働きが感じられ、絵具が流れ落ちる様子をそのままとどめた前シリーズの「Symbol & Colors」では感じられなかった作為性が強められている。過去の作品で感じられた「装飾性」や「幾何学的模様」を保ちつつも、ポップアート的な明るい調子は記号のみに留められ、素材や作家の存在によって重厚な雰囲気に力強さが込められている。
本シリーズは、2020年初頭から世界中で感染が確認された新型コロナウィルスの流行と、昨年2月のロシアによるウクライナ侵攻と重なる時期に、制作が始められた。以前と異なる生活様式を、日常として受け入れなければならない状態はまだ記憶に新しいが、「他者との関係」や「命の重さ」などの聞き慣れた言葉の意味を、改めて考えさせられる機会ともなっただろう。とりわけ、戦争の負の遺産を後世に伝承することを強い使命と感じる広島に生まれ育ち、イタリアと日本の二拠点生活を送る櫻井は、こうした社会的情勢によって、少なからぬ影響を受けたに違いない。あらゆる人々に自らの「居場所」の確認を迫るような、歴史や記憶、アイデンティティに関わる昨今の出来事は、人の痕跡を強く意識させるシリーズの制作へと作家を向かわせたことだろう。
表面上に痕跡を強く残し、まるで画面上で実験を繰り返しているように見える本シリーズの表現手法は、1950〜60年代にイタリアで興った空間主義や日本の具体を中心に展開された、平面性への挑戦を想起させるが、櫻井の探究は、彼らの系譜を受け継ぎつつ、とりわけ物質性へと向けられている。
ビロードの深みのある色艶と、樹脂の強い反射による光沢という、異素材の組み合わせによる呼吸のようなゆるやかな動き。絵具がいっぱいに溜まり、均一化されていない星型の凹みは、記号としての力は弱められ、有機的なリズムを生み出している。こうした物質の働きは、共通言語として国や時代を超えて感じられるものだろう。
「大きな物語」が再び失われ、人々の暮らしは変われど、物質自体は変わらない。近い将来、今の時代が一つの歴史的出来事として語られる時、作品に残された痕跡はどのように読み取られるのだろうか。

筒井彩(ふくやま美術館学芸員)